浪人生活の振り返り:3月(浪人終了)
3月8日、12時が九大の前期試験の合格発表。
親は配慮してくれたのか知らないが、家におらず、1人リビングで時間が来るのを待った。
12時、時間になったので九大のページへアクセス。
全然繋がらない。
その後、5分ほど待ってもう一度アクセス。合格者の番号一覧が見えたその時、友達から電話があった。
友達「結果どうだった?」
自分「今見てるとこだから後で掛け直す」
その時は心底、なんでこのタイミングで電話するんだよと思った。まぁその友達は発表時間を知らなかったのでしょうがないか。
気を取り直してまた合格者一覧に目を通したその時、
もう1人の友達から電話があった。秒で着信拒否。
再び気を取り直して合格者一覧を見た。
画面をスクロールして工学部の方へ。
探す間も無く自分の番号を見つけた。
1年間の浪人生活が終わった瞬間だった。
泣いた。
その後、友達2人に電話し、予備校に報告に行った。運良く校舎にはお世話になった先生が沢山いて、合格報告をした。
それからは遊ぶ日々が続いた。ボーリングに4日連続で行ってみたり、21時から朝の3時までカラオケをしたり。
入学したらすぐに TOEFLの試験があるのでそれに向けてそろそろ勉強を開始する。
浪人生活は自分にとっては意味のある時間だった。現役の時は同級生との1年の遅れを恐ろしく感じていたが、今となってはその遅れなど全く怖くはない。長い人生の微々たる時間だ。この先の長い人生で浪人生活で見えたこと、知ったことが活きれば、なんて素晴らしい1年だっただろうかと振り返ることができるだろう。親への感謝も忘れちゃいけない。
そのためにもこれからも勉強し続ける。大学で腐っていった多くの友達たちを横目に、これからも前進し続けようと思う。
以上で浪人生活のはてなブログを終了します。
見てくれた方、ありがとうございました(^^)
浪人生活の振り返り:2月
センター試験後から2月23日まで予備校で二次対策。
英語は元々得意だったので得点源。
物理、化学は合格者平均くらいは取れる。
最後まで足を引っ張ったのはやはり数学だった。
有名予備校の九大プレを毎週解いて予備校の担任に添削をしてもらった。数学は250点満点で6割(150点)を取ればいい感じだが、140点、110点、160点、120点、など、全く安定しなかった。
数学に不安を抱えたまま2月25.26日の九大二次試験を迎えた。
不安が的中したのは1日目。
英語は昨年より圧倒的に手応えがあった。
二科目の数学。問題用紙の1ページ目をめくると、いつもと景色が違う。
「あれ、、、誘導がない」
九大数学は5問構成で、各大問に(1)〜(3)までの小問が付いていて、誘導形式がほとんどだった。しかし今年は5問中3問の誘導が消えて、解法の方針が立たなければ大問まるまる0点近くとなってしまうような問題構成になっていた。
まじかょと思いながら小問付きの2問を(2)まで解いて、残りの時間で3問を解いた。
試験終了後、正直、センターでつけた差がごっそり持っていかれた様な感じがした。
メンタルがやられた中、2日目の物理化学の試験を受けた。九大物理は大問3つ構成で、いつものごとく問題の導入部分でミスをすると大問まるまる落とす危険な科目。慎重に解いていった。
化学は例年通りだった。
その翌日、自宅で自己採点をした。
英語は選択問題で1つ外し、記述問題はまぁまぁできていた。上々。
数学は予想通り悪かった。自己採点的に100/250点くらいかなぁという感じだった。ヤバイヤバイ。これで物理もミスってたら確実に落ちる。
物理化学。化学はまぁ悪くない感じ。ちょいとミスがあったが許せる範囲。物理は導入部分でミスは無かった。力学は最後の方まで解けたけれど、計算ミスをしていた。しかし、これも許せる範囲。最悪な事態にはなっていなかった。
センターの点数と自己採点の二次の点数を合わせると、第1志望学科の合格者最低点と同じくらい。第2志望学科の合格者最低点よりは30点近く高かった。
平均点は下がるだろうと思っていたので、第2志望学科にはさすがに受かるだろうと思ったが、第1志望学科は微妙な感じ。
とりあえず不安なまま3月8日の合格発表まで待った。その間、後期試験の勉強は英語以外ほとんどしなかった。やらないといけないのはわかっていたが、前期で燃え尽きて、もう無理だった。
〜2月編終わり〜
浪人生活の振り返り:1月
1月2日に予備校で正月模試(いわゆるK-パック)をした。
元々の点数より20点くらい低いけど、駿台のセンタープレの難易度がおかしかったことをこれで確認。少し安心した。
それからセンター試験までは授業を受ける日以外は予備校に行かず、家で自習。自習室には12月の頭から二次試験を受けるまで行くことはなかった。自習室では暖房がかかっていて、窓が全て閉められていたのでインフルエンザに感染し易い環境になっていたのが理由の一つ。
そして迎えたセンター試験
現役の時は687点だったが、1浪の末、796点を取ることができた。109点上がった。
過去最高点を取れたが、決してまぐれではなかったと自分は思っている。
センター後の2日くらいは気分転換で勉強をしなかった。
その後、二次対策がスタート。ここからが難関大受験者にとっては勝負の40日。
〜1月編終わり〜
浪人生活の振り返り:9月〜12月
自動車免許が取れてからは本格的に受験勉強に本腰を入れた。
平日と土曜日は18時まで授業を受けて、その後夕飯を食べて自習室で22時まで自習室。
日曜日は10時から20時まで自習室で自習。
気晴らしで友達とご飯に行くこともあったけど、月1くらいの頻度だった。
↑は9月マークの結果
↑は10月記述の結果。成績表は無くしたっぽいのでマーク試験の結果表に載っているもので勘弁。この時の数学はヤバイ。
↑は11月マークの結果。10月記述が悪すぎたのでドッキングでCとなっている。
↑は11月?ごろの第2回名大オープンの結果。
この試験前に志望校を名大から九大に変更。理由としてはリスクをとって九大ではなく名大を受ける理由が無いことに気づいたから。(名大数学が解けないのも理由の一つ)
↑は12月の駿台のセンタープレ。久々にひどい点数を取った。たしか715点くらい。ここから二次試験の勉強をやめて本格的にセンター試験の勉強に移行。
冬に近づくにつれ、メンタルが時々いかれそうになった。2年連続でクリスマスを自習室で過ごした。クリスマスも特に変わりのない日常のように過ぎていった。
〜9月から12月編終わり〜
浪人生活の振り返り:4月〜8月
特待生試験の点がまぁまぁ良かったからか、30万円の割引を受けて、予備校に入学。
3月末から自動車学校にも通っていたので、ここから地獄の4ヶ月が始まった。
7時起床
8時に家を出る
9時前に予備校に到着
昼休みの1時間を挟んで18時まで授業
19時からの自動車学校の最後のコマに間に合わせるために移動
19時から1コマ1時間の学科、または実技を受ける
20時過ぎに帰宅
夕食と風呂を済ますと22時を過ぎる
授業の復習
23時半から24時ごろ就寝
平日はこの繰り返しだった。正直ありえないほどメンタルと体力的にきつかった。
土曜日は9時から1時間の昼食を挟んで18時まで授業を受けて夕食を予備校の近くのスーパーで食べて22時まで自習室で復習。
家に着くのは23時前。
日曜日は授業が無かったので10時ごろから20時まで自習室で復習と予習。
↑は6月マークの結果
↑は7月記述の結果
7月末にようやく自動車免許がとれた。
↑は夏休みごろの第1回名大オープンの結果
見てわかる通り難関大志望者にあるまじきほどに記述試験が苦手だった。結局これは最後まで足を引っ張ることになる。
〜4月から8月編終わり〜
浪人生活の振り返り:3月
3月8日に中期で大阪府立大学を受験。
数学と理科の試験を終えて控室に戻ると親に
「九大落ちたよ。」
と言われた。まだ英語の試験が残っていたのになぜ親は言ったのかはわからない。せめて自分で確認させてくれ。そしてショックで集中できない中英語の試験を受けた。勿論解けない。
その時点で浪人が決定した。
沖縄に帰って大学に合格した友達たちと遊んだ。当時付き合っていた彼女にバレンタインのお返しとしてケーキを作った。予備校の特待生試験を受けると結構手応えがあり、ルンルン気分でバス停に向かった。バス停で携帯を開くとフラれていた。家に帰り自分で作ったケーキを食べた。人生で一番美味しくないケーキだった。
大学に落ちて、彼女にもフラれたショックの中、1年間の浪人生活に突入した。
〜3月編終わり〜
九大受けてきた ~
数学にボコられましたಠ_ಠ
英語はできた
化学もまぁまぁ
物理は計算ミスしてたら連鎖的に死亡するのでそこがマジで怖い
あーーー、後期の勉強しまーす
センターで逃げられればいいけどセンターが半分に圧縮されるので実質2次勝負。どうだろな ~、嫌な予感がする
青チャートⅢ例題終わり ~
いゃー、長かった笑
センター終わって取り組んでいた青チャートのⅢの例題の一周旅行終わりました ~ (^^)
だいたい1ヶ月くらいかな。予備校にも週6で通ってて他の問題を解いていたので自分としてはいいペースだったかなと。
何周もしないと頭に入らないのでチェックをつけた問題がたくさんあるのでそれをまたやっていきまーす。
最後らへんは疲れてボロボロ笑
あと7日くらいかな?追い込み👍
復活
復活というか1日経てばなんてことない悩みだった笑
青チャートのⅢの例題がそろそろ全部終わるから(遅すぎる)その後は二週目をざざっとして前期を迎える感じかなー
青チャと予備校の授業の二つをこなすのはキツかったな~
では、また青チャートしてきます👋